華道を学ぶ中で、植物を「立体として捉える」という感覚を知りました。「生ける」という行為は、正面だけが美しければ良いのではなく、360度すべての方向から見て美しくなければならない——その考え方に触れたのです。
この教えは、かつてガラス作家として器を制作していた私にとって、とても腑に落ちるものでした。器を作るときは、常に立体として、三次元で物事を考えます。その癖が自然と身についていたからこそ、華道の教えにもすぐに納得できたのだと思います。
一方で、絵を描くという行為は、三次元の立体を二次元の平面に落とし込む作業です。絵を見た人が、花や葉の裏側まで想像できるような作品を描くためには、描き手自身がその裏側の構造やテクスチャーを深く理解している必要があります。花びらがどこか平面的に見えてしまう絵は、多くの場合、花の構造が頭に入っていないことが原因です。
では、どうすればよいのか。
まずは、描きたい植物について徹底的に調べること。今はネット検索で、驚くほど多くの情報を得ることができます。しかし、それだけで完結させず、可能であれば実際にその植物に触れてみてください。
触覚 — 触れて感触を確かめる
視覚 — 分解して構造を知る
嗅覚 — 匂いを嗅ぐ
味覚 — 食べられる実なら味わってみる
聴覚 — 葉や茎が触れ合う音、雨粒が当たる音に耳を澄ます
体感 — 自生地に足を運び、その場の空気を感じる

このように、人間が持つあらゆる感覚を使って植物の情報を頭の中に取り込んでから描くことを、私は強くおすすめします。
花屋に並んでいる植物一つひとつにも、必ず物語があります。どの大陸を原産とするのか、どんな気候の中で育つのか、誰がその名をつけたのか。その背景をたった一つでも知った上で描くことは、表現に深みを与える大切なプロセスだと感じています。
植物の一輪一輪も、ある意味では球体のようなものです。ただ「丸い」と捉えるのではなく、その裏側にどんな世界が広がっているのかを想像すること。
球体の”裏”が見える絵を描くこと。それこそが、三次元を二次元に落とし込むという行為の本質に近いものなのではないかと感じています。そして、それが私の目指すボタニカルアートの姿です。
ⓒ宮澤 香代子
